世界の欠片を集める旅

※雑記ブログです。旅ブログではありません。

フリーライティング10(2017/9/15)

さてさて、昨日は自分でもなんでってくらい眠くて眠かったから、自分に正直になって寝てた。
こういう日があってもいいよね。
大学では夏休みだし。
それに、変な夢見て、なんだったんだ~とか思ったけど、深く考えてもわかんないからしばらく放っておこう。

今日は「嫌いな人」と「自分の予言が当たりすぎててこわい」について書きたいけど、テーマ2つも書けるかな?

まずは「嫌いな人」について。
私は現在、研究室内に嫌いな人がいます。
とはいえ、険悪な中でもないし、会えば普通に話したりもする。
仲が悪いわけでもないんだけど、なんか嫌いなんだよね。
で、その嫌いな理由が今日、なんとなく理解したって話。
私が嫌いな彼、たぶん、私によく似ている。
彼の嫌いなところが私にも当てはまることが多い。
自分の近くにいる人は自分の鏡っていうけど、まさにそれだなって。
嫌いだけど普通に嫌いな彼と話せるのもそういう理由なんだろうなって。
私が自分の嫌いなところ、ダメだなって思っていることを彼がほぼそのままやるから嫌いなんだろうなって。
具体的にあげていくと、人を見下しているところ、人によって態度が変わるところ、先生の前でだけいい子でいようとするところ、私のことを見下しているところ(私も彼のすべてではないが見下していることがあると思う)、自分だけ何もしないわけにはいかないから人の仕事を無理やりとってでも自分は何かをして研究室の役にたっているように見せかけるところ、学校のサボるサボらないの判断が相対的なところ。
たぶん、こういうところが私自身の嫌いなところであり、彼もそういう風に見えるからなんか嫌い・むかつくと思ってしまうんだなってつい先ほど思った。
研究室にいるのはあと半年ほど。
嫌いなこの人のことを許すことができたら、私は自分も許せるようになる気がする。
嫌いなこの人のそういうところを受け入れることができたら、私自身もっと成長すると思う。
この人のことを嫌いじゃなくなったら、もう少し、違う世界を見れるかな。
自分の近くにいる人が自分の鏡なら、次に出会う人はもう少し違う人になるかな。
そんなことを考えた日。
今は夏休み中で、あまりその人と関わっていない。
だから気づけたんだろうね。
だって、今までの私は、嫌いな彼はこういうことしているけど私は違うって思っていたもん。
たぶん、行動の根源は同じなのにね。
例えば、私は研究室で自分の役割を持ちたくて研究室の掃除をした。
次の日、彼も同じように掃除をする。
それがむかついた。
私は自分からやったのにどうして真似するのって。
たぶん、自分だけ研究室で何も役割を持たないわけにはいかないからでしょ?
私はその時、そんな彼に嫌悪感を抱いた。
でも、本当はわかっていたんだ、根源は一緒。
その下心が似ていたから嫌いだった。
だからこれからあと半年、彼を許せるように頑張る。
それは自分を受け入れることかもしれない。
自分の行動・考え方を変えることかもしれない。
どっちでもいい。
卒業する時は、心の底から同期みんな仲良しで卒業したい。
「自分の予言が当たりすぎててこわい」については、機会があればまた今度。