世界の欠片を集める旅

※雑記ブログです。旅ブログではありません。

フリーライティング(2018/03/12)

お久ぶりなのであります。

なんやかんや(というのは、修士論文の研究とかですね)忙しかったり、次の一歩が踏み出せなかったり、自分でも迷うことがいっぱいあったりで、ブログを書くことができませんでした。

時間が経ちすぎて、どう書いていたか忘れてしまいました。
何を書けばいいか、どんな縛りで書いていたか、とか、自分で決めたルールとかも忘れてしまった。だから、フリーダムに書こうと思った。
色んなことが手探りで、また迷いながら書くんだろうな。それでも、夢に近づけたら、いいな。

今日が再スタートにとてもいい日だったから。
はじめるまでが億劫で、はじめてしまえば、すすめそうな気がしたから。

えっとね、書きたいことは色々あるよ。
まずは、ブログをしばらくお休みしてから今まで何があったかちょっと書いていこうか。
10月から今までの約半年、自分でもびっくりするくらい、時の流れが早くて、自分の中ではジェットコースターって毎日、毎週、毎月思ってた。
今まで生きてきた中で、いちばん時が過ぎるのが早かった期間。
辛かった。いっぱい悩んだ。でも、素敵な出会いもあったし、とても充実してた。人を恨んだりもした。たくさん泣いた。寝る時間は少なかった。たくさん、たくさん詰まっている。そんな場所とも、時間とも、もうおさらばだ。

この半年で、私はたくさん成長したと思う。
様々なことを経験したおかげだ。
だから、そこにはもう戻らない。
後悔はたくさんあるけど、切り捨てるもの切り捨てなかったら、私は私を生きれない。
人生は、短いんだろうな。
だから、これだけは、これだけはやっておかないと死ねないってことが私にはあるから、それをようやくスタートさせられる時がやっと来たから、その時を逃さない。
私はここにいる。
もう少し、ふらふらするんだろうけど、ようやくはじめられそうだよ、あの時の自分。
自由にやっていくから。ね。

フリーライティング12(2017/9/18)

今日は「昔の自分のブログ読み返したら、本の感想が分かりやすく書いてあってツライ」というテーマで書いていこうと思う。
私ははてなでブログを始める前はアメーバの方でブログを書いていた。
アメーバでは特に決まりを設けずに好き勝手にあ書いていた。
だから、ストレスなく毎日続けたり、気まぐれに書いたりできた。
ある時は愚痴、ある時はアニメや漫画、本の感想とか、必ず書くんじゃなくて、書きたいと思った時書いてた。
だから、ずっと感想ブログ書きたいといいながら書けなかったけど、心に残ったものの感想だけ書いてあるから、読んでて気持ちいい。
で、テーマに書いた通り、本の感想が分かりやすかった。
あらすじもわかりやすかったし、1年以上前に読んだ本だから内容忘れてたんだけど、ブログ読み返したらどんなのかだいたい思い出した。
それに、読みながら自分はどう思ってて、結局どうなったのか、自分にわかりやすい内容だった。
文章の量もそんなに長くないしさ、これが私が求める感想ブログの理想だよってね。
約1年前の私は、そんなこと意識もせずにできていたんだなって思うと、敗北した気分。
私は成長していないのか、退化しているのか~~~~って思って、今日のテーマになったわけであります。
こんな感想ブログを毎回面倒に思わずに書けたら私は理想のブログを作れていたのかもしれませんね。
いや、これは、私にはそういうブログ書く力があるってことの証明ではないか?とかプラス思考になってみたり。
この3連休は、これからやりたいこと、やること、やっていくこと整理して、少し頭がすっきりしました。
ブログも何らかのかたちで続けていこうとは決めたけど、感想ブログは少しおいておこうと思ったので、今後どうなるかはわからない。
ある程度の型は決めたけど、何が最善かなんてわからないし、トライ&エラーの繰り返しだよね。
それでいいと思っている。
今日も出会えてよかったって思うブログに出会えたし、それでいいんじゃないの?人生。
行動したらした分だけ私は迷う。
それでいいと思っている。
迷いながら進めばいい。
迷いすぎて進めないときは立ち止まればいい。
まさに今の私。
何にも進んだ気しないけど、それでいいと思っている。
他にもっと何か書こうと思ったけど、忘れました。
忘れたからしょうがない。
あ~あ~あ~、自分ていつからまとめることがこんなに苦手になったんだろう。
本て1冊、読むと結構長いから、あらすじまとめんの大変とか思ってたけど、読んだ人(自分)にしかわからず、他の人もこの本読もうって思えるような文章を書くことが理想なわけで、自然とそれができてた自分が今ではすごいと感じるわけで、身体一つで一度にできること少ないのが悔しくて、意味わかんないけど、今という時間が自分にだけもっとあったらいいのにっていっつも思っている。

フリーライティング11(2017/9/16)

今日は日中起きてるぞと思いながら結局仮眠でガッツリ寝てしまい、午後3時に起きて後悔しています。
今日は昨日書けなかった「自分の予言が当たりすぎててこわい」話ではなく、「今という時間は自分が思っている以上に短い」ってことについて書きたい。
「今」できることってひとつが精一杯だと思うんだよね。
〇〇しながら☓☓もして、同時にいくつものことを並行してできる人もいるけどさ、それって頭でじっくり考えながらできることじゃないよね。
並行してやっている人は考えずにできるくらい何回も同じことをやっているからできるわけで、初めから苦労せず並行してできますって人はなかなかいないんじゃないかな?
しかも、同時に別のことをじっくり考えるなんてことはできないと思うんだ。
やっているつもりでも、きっとわかんなくなる。
だから、今、この瞬間に全力でできることってひとつくらいだと思うのよね。
揚げ足とろうと思えばいくらでもとれるけど。
だから、やらなきゃいけないことや、やりたいことがいくつもあって、それらを一気に進めたいって思ってもそれは当然できないわけで、今、この瞬間、瞬間にできることはひとつしかないから、何かをやるにしても一つ一つ進めていくしか方法ってないの。
当たり前のことだけど、これをどれだけ正しく認識できるかって大事だと思う。
いつかやるだろう、いつかやろうってただ後回しにしていることは、来てはすぐに終わっていく「今」を正しく認識できていないと思う。
今、この瞬間は何をやって、「いつかやろう」はいつやるのか、「いつかやろう」をやるために、何をしておかなきゃいけないのか、そういうことを考えることが今の自分には必要。
中には、一生できなくてもしょうがないと切り捨てることも必要だと思った。
そうしないと、いつまでも「いつかやりたいこと」が頭の中にあって、それが消えることがない。
毎日不自由なく暮らしていても罪悪感が消えない。
正体不明の不安にずっと心をすり減らされながら生きていくのは耐えられない。
楽な方向へ流れたいけど、楽を選択したところで心は全然楽にならない。
むしろ、苦しくて苦しくてしょうがない。
簡単にやってみようができたらどんなに楽なんだろう。
心を楽にするために、優先順位つけよう。
今やれることは一つだから、今、何をすればいいのか、考えて、納得して、これからどう生きていくのは決めよう。

フリーライティング10(2017/9/15)

さてさて、昨日は自分でもなんでってくらい眠くて眠かったから、自分に正直になって寝てた。
こういう日があってもいいよね。
大学では夏休みだし。
それに、変な夢見て、なんだったんだ~とか思ったけど、深く考えてもわかんないからしばらく放っておこう。

今日は「嫌いな人」と「自分の予言が当たりすぎててこわい」について書きたいけど、テーマ2つも書けるかな?

まずは「嫌いな人」について。
私は現在、研究室内に嫌いな人がいます。
とはいえ、険悪な中でもないし、会えば普通に話したりもする。
仲が悪いわけでもないんだけど、なんか嫌いなんだよね。
で、その嫌いな理由が今日、なんとなく理解したって話。
私が嫌いな彼、たぶん、私によく似ている。
彼の嫌いなところが私にも当てはまることが多い。
自分の近くにいる人は自分の鏡っていうけど、まさにそれだなって。
嫌いだけど普通に嫌いな彼と話せるのもそういう理由なんだろうなって。
私が自分の嫌いなところ、ダメだなって思っていることを彼がほぼそのままやるから嫌いなんだろうなって。
具体的にあげていくと、人を見下しているところ、人によって態度が変わるところ、先生の前でだけいい子でいようとするところ、私のことを見下しているところ(私も彼のすべてではないが見下していることがあると思う)、自分だけ何もしないわけにはいかないから人の仕事を無理やりとってでも自分は何かをして研究室の役にたっているように見せかけるところ、学校のサボるサボらないの判断が相対的なところ。
たぶん、こういうところが私自身の嫌いなところであり、彼もそういう風に見えるからなんか嫌い・むかつくと思ってしまうんだなってつい先ほど思った。
研究室にいるのはあと半年ほど。
嫌いなこの人のことを許すことができたら、私は自分も許せるようになる気がする。
嫌いなこの人のそういうところを受け入れることができたら、私自身もっと成長すると思う。
この人のことを嫌いじゃなくなったら、もう少し、違う世界を見れるかな。
自分の近くにいる人が自分の鏡なら、次に出会う人はもう少し違う人になるかな。
そんなことを考えた日。
今は夏休み中で、あまりその人と関わっていない。
だから気づけたんだろうね。
だって、今までの私は、嫌いな彼はこういうことしているけど私は違うって思っていたもん。
たぶん、行動の根源は同じなのにね。
例えば、私は研究室で自分の役割を持ちたくて研究室の掃除をした。
次の日、彼も同じように掃除をする。
それがむかついた。
私は自分からやったのにどうして真似するのって。
たぶん、自分だけ研究室で何も役割を持たないわけにはいかないからでしょ?
私はその時、そんな彼に嫌悪感を抱いた。
でも、本当はわかっていたんだ、根源は一緒。
その下心が似ていたから嫌いだった。
だからこれからあと半年、彼を許せるように頑張る。
それは自分を受け入れることかもしれない。
自分の行動・考え方を変えることかもしれない。
どっちでもいい。
卒業する時は、心の底から同期みんな仲良しで卒業したい。
「自分の予言が当たりすぎててこわい」については、機会があればまた今度。

フリーライティング9(2017/9/13)

今日はしゃべった日だ。
その前に断捨離した。
といっても、いらなくなったものを捨てただけ。
捨てたいけど捨てられないものって意外とある。
それは自分で自分につけた鎖みたいなもの。
たぶん今後二度と使わない。
でも、思い切って捨てることができない。
今のご時世、たぶんなんでも手に入る。
お金で買えるものは。
というのも、私のほしいと思うものを過去から考えてこれがいえるのだが。
私が収入と支出のバランスを考えられない人間だったら、お金で買えるものはなんでも買えるだなんていえないな。
それでも、お金で買えるものが手放せないのは、思いの分だけなんだろうな。
人からもらったものは、まだ使えるのにって思うと捨てずらい。
思い出が詰まっているものはもう使えなくなってもしばらくは捨てられない。
義理や人情大切にする人、個人的には好きだ。
でも、それをものに求めすぎたら、”思い”が強くなりすぎる気がする。
思い切って捨てよう。今日。

そして、私が本当にほしいものはお金で簡単に買えるものじゃないってことを私は知っているよ。
人とのつながり、技術、才能…。
私がほしいのはどちらかというとそっち。
そういうものもお金で解決しようと思えばできる部分もある。
でも、ほしいのはお金でどうこうできるレベルじゃなくて、その先。
だから、私が本当にほしいものはお金じゃ買えないんだなって。
今、いちばんほしいのは、かく力。
それだけあれば、今は幸せ。
それがないから探してる。
心は迷子。
その次にほしいのは創る力。
見せつけたいって気持ちも少なからずあるけど、誰からも見られなくてもいい。
それを知っているのは私だけ。
でも、私しじょういちばん好きな作品を自分でつくることができたなら、私は幸せだと思う。
誰も知らない物語。
創るのが夢。
私が余命1年宣告されたら、今やっていること全部やめて、作品つくるって思っている。
人生が終わるのが明日かもしれない。
そんなの誰にも分らない。
なのに、どうして今すぐ動き出せないのかしら。
私は今、健康でピンピンしている。
でも、いつ死ぬかなんてわかったこっちゃあない。
今日も無駄に生きてしまったのだろうか。
人生に無駄なんてないのだろうけど、今の私はあまり好きじゃない。
将来、今の時間に戻ってやり直したいと思うことはないと思う。
だって、全然本気で生きていないから。
心が迷子だから。
中学や高校時代に戻りたいのは、本気で生きていたから。
本気で生きていたのに、うまくいかなかったから、もっともっと本気で生きたいって思ったんじゃないかな?